街コンとFacebook

街コン=出会いのプラットフォームという見方を検証するために、人と人をつなげるサービスであるという点で、街コンと共通点を持つfacebookとの対比を考えてみたいと思います。

 改めて説明するまでもなく、Facebookは日本国内でも利用者が急増している個人/コミュニティ間のコミュニケーションを支援するプラットフォームです。

 Facebookに対する期待は、(あ)ビジネスネットワークの構築・維持、(い)友人間のコミュニケーション、(う)昔の知り合いとの再ネットワーク、(え)未知の人との出会いなど、多岐にわたりますが、Facebookはどの期待に対してもうまく応え、まさに「つながり」を提供するプラットフォームとしての地位を確立していると考えます。

 また、上記(あ)〜(え)では、ユーザ同士の関係は深度においてだいぶ性質が異なりますが、そこをあえて「友達」と括っているところも、結婚相手候補から友達候補までをざっくり「参加者」と括っている街コンと近いのではないかと思います。

 また、Facebookではウェブの世界では珍しく、コミュニケーション上実名が原則になっています。これによりFacebookではほかウェブサービスと比較すると、実社会と近いマナーでユーザーがコミュニケーションを実施しており、それがFacebookの「安心して発言・行動できる場」としての信頼性を担保しています。

 一方、街コンにおいては、自治体・地域の商工会議所などが主催者となることで、安全性・安心性を担保している一面があり、安心して参加できる仕組みを具備しているという点において、両者は共通していると言えそうです。

 ウェブ上で出会いをつくっていくデジタルなFacebookと、実際に対面での出会いをつくっていくアナログな「街コン」。一見全く毛色の違うこの2つの仕組みが本質的な点では似通っており、似たようなバリューを提供しているということは、とても興味深いと思われませんか。

 逆にFacebookと街コンの質的な相違点は、どのようなところにあるのでしょうか? それを検証するため、冒頭ご紹介した3人のうちの3番目の意見「街コン=非日常的な集いの場」という点について考えてみたいと思います。街コン=非日常的である、という評価を深堀りするために、この「非日常性」を(ア)スケールが大きい(イ)開催頻度が限定されていて希少性がある、という2点に分解してみます。

<スケールが大きいイベントとしての「街コン」>
・非常にたくさんの同郷の人が参加することから、「みんなが行くなら私も行く」という同調効果を誘発し、規模の大きさが参加者をさらに誘発する構造となっている
・「地元活性化」という大義名分があり、前述の同調効果も相まって参加が促進される
・本能的に「大規模なイベントに参加する」というのは人にとって楽しいこと

<限定感・希少性があるイベントとしての「街コン」>
・例えば「宮コン」であれば、開催されるのは、数カ月に一度。この開催頻度が限定感を生み、参加意向者の期待を高める役割を果たす
・飲食店を利用するときは一つの店に腰を落ち着け、注文した食べ物・飲み物を楽しむのが通常。しかし、街コンの場合はそのルールが撤廃され、仲間や出会ったばかりの相手といろいろな店を自由に行き来でき、飲食できる「非日常感」が参加者を高揚させる

 どうやら街コン(まちコン)には出会いのプラットフォームとしての機能的な価値に「規模」「希少性」という情緒的な価値が付与され、現在の位置を占めるに至ったのではないかと思われます。

 それでは、Facebookではこの「規模」「希少性」という情緒的な価値は観察されるでしょうか?

 例えば参加している個人・コミュニティの数からも、間違いなく規模感は感じられると思います。思いがけない人とつながることができたといううれしいサプライズをFacebookで感じた方は、たくさんいらっしゃいますよね。

 しかし、いつでも誰でもどこからでもアクセスすることのできる、懐かしい言葉で言えば“ユビキタス”であるFacebookには、希少性はあまり感じられないのではないでしょうか?

逆にFacebookと街コンの質的な相違点は、どのようなところにあるのでしょうか?リアルな街コンと バーチャルなFacebookの差異を表すキーワードとして、この希少性を提案したいと思います。

【全国各地で大ブームの「街コン」は“リアル版Facebook”か】

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